割と毎日書いています。




3月15日(水) ◆それでいいのか

知らない人はいないと思うけど、『goo辞書』はブックマークしておくといいですよ。
あたしゃ会社でも自宅でも、がっつりお世話になっていますよ。
(教養ないもんで。)

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プレイステーション3の発売が近い。
いやまぁ近いっつーか、その、ここらは適当な表現にとどめておく。

ブルーレイを搭載するこの化け物マシーンのスペックを
フル活用するようなソフトを制作し、
かつ開発費をユーザーに極度に転嫁すまいとすると、逆算して、
50万本前後売れるものでなくてはペイできない。
それ以下の販売本数しか見込めないタイトルは赤字決定なので、
早い話が制作断念せざるをえないわけである。
続々とソフトが死滅する。

50万本って、あなた。並大抵の数じゃございませんことよ。

マンガの単行本なんてたかだか400〜500円だが、それでも
「50万部売れない作品はつくるな」と釘を刺されたとしたら、
編集者時代の僕は速攻荷物をまとめて故郷に逃げ帰り、
今頃は田畑を耕し牛馬と戯れていたであろう。
自分で作ったスイカはさぞや美味しいに違いない。
ちなみにお袋は、田舎で、隣近所の畑からネギを盗んできたりするらしい。
いや今はそんな話ではない。


ハードのキ●ガイじみた性能向上が、ゲームタイトルを減らし、
ひいてはゲームユーザーの裾野を縮小する結果となる。
なんと馬鹿げた話でございましょうか。
天に向かってツバを吐くとは、このことではなかろうか。
そもそもゲームなんて、多様な娯楽の一環として登場したもの。
なのに、選択肢が絞られて、どいつもこいつも同じビッグタイトルをプレイする。
本末転倒も甚だしいし、その風景は極めて気持ち悪いだろう。

オヤジからガキまでが素朴に楽しめるDSがバカ売れ中である。ソフトも安価。
とても微笑ましい傾向だと思う。
ゲームって、これでいいんじゃないか。
ここら辺でいったん小休止してはいかがでしょうかね。


以上、僕もある意味天に向かってツバを…………………………。

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僕と同級生の学習院大卒の彼(仮称:ヒロくん)、
最近あんまり仕事してなくね?




3月14日(火) ◆コピペが嬉しいのか

先日DVDで見た『ゴジラ FINAL WARS』に出演していた菊川怜は、
笑っちゃうほど典型的なツンデレ設定キャラだった。
松岡昌宏との仲を姉に冷やかされて
「な、なによ、そんなんじゃないからね!」とか言ってた。
バフーーーーッ!

しかしオーディオ・コメンタリーでもまったくその単語を使った解説はナシ。
そうか、ひょっとして当時はまだツンデレって言葉はなかったのか。
いや目まぐるしいな、そっち世界の発達速度は。

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サイト運営経験のある方なら思い当たるだろう。
あからさまに、同じフレーズをコピーしたものが
無差別にBBSやブログのコメント欄に投稿された時の不快感。
体のいいことは書かれているけど、当該サイトやその中身に関する具体性はゼロ。
どこにだってそこそこ通用する適当さと、あつかましさ。

あるいは、メル友募集をかけ、それに対し届いたメールが、
これまた同じ文章を誰彼構わずコピーして送っているのがミエミエってこともある(らしい)。
よほどの自信作ゆえにたった一人に送るのが勿体ないとでも仰るのか知らないが、
多方面に手を伸ばしてるのがモロバレ。失礼極まりないことだ。
その上、限りない浅はかさ。笑われてることに気づけよな。



で、何度だって言うが。
誰にだって・どんな時だって通用するような
表面的な励まし・同情文句ってのは、これと寸分違わないのである。
発する側が
「自分は薄っぺらいことしか言えません。貴方のことを真に思いやってはいません」
というアホさ加減を晒しているだけに過ぎない。

「そんなつもりじゃない」なんて口先の言い訳は通用しません。
弁解するくらいだったら、
自分にしか発することのできない
その相手の事情に着実に適合する
マトモな言葉をしっかりと頭を使って選びなさい。

この手のやりとりで、言った方も言われた方も満足してるような、
そんな姿を目の当たりにすると、本当に「言葉の軽さ」が嘆かわしくて仕方ない。
これしきの人間関係で嬉々とするような
寂しい人生を送っている面々に同情もしたくなる。

「コピペばらまき」みたいなものでも喜ぶ人間が多いとなると、
そりゃ口先ひとつで相手を騙す商売ってヤツもなかなか消滅しないわな。
ネット全盛時代だからこそ、言葉に対する精度・感度をもっともっと高めるべきであろう。

敢えて言っちゃいますよ。

「騙される方が悪い」

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会社の喫煙ルームでよく出会う、同じフロアの他部署の女。
名前も所属もまったく知らないのだが、
しゃべり声がものすごくデカいのですっかり覚えてしまった。
ったく、うるせー。



3月13日(月) ◆この世で一番大切なことはやっぱりタイミング♪

判定が覆った西岡のタッチアップには猛烈に憤りを感じるが、
ここぞとばかりにWBC自体を蔑む発言をするような輩は封じておく必要がありそうだな。

「神の手ゴールよりはマシ」

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タイミングってのは大切だ。
本人の努力や計算は何ら変わりないのに、
タイミングだけが大きく明暗を分けるってケースは多々ある。
これは「運」と呼ぶしかない。


僕は転職組だが、ストライクな経験もなくそれなりに年齢もいってたため、
前任者が逃亡事件を起こしていなかったら、
今の会社へは入社できてなかったかもしれない。
これも運。

女性に求愛した場合、
相手が振られたばかりの傷心状態だからこそ射止められたという場合もあろう。
これも運。

名選手が引退すると同時に入団した新人は、
タイミングよくいい背番号が空いたがゆえに、めでたく譲り受けることができたりもする。
ジャイアンツの高田→原の8番みたいに。
これも運。


運良く進んだ場合は、ただただラッキーと喜べばいいだろう。
というか、喜ぶことしかできない。すべきでない。
理屈をつけて分析するのは危険である。
「運を呼び込み確実なものとするための方程式」なんて基本的に存在するわきゃなくて、
占い師にでもならない限り、
ただの運に過ぎないものを自らの手で生み出すことなんてできないはずである。
自分でどうにかできるのは、さっきも書いたけど、「運」じゃなくて「努力」といいますので。

さてこれを逆説的に述べると、
意識的に悪事を働いたり努力を怠ったがために不幸な事態が到来した時に、
「運が悪かった」と述べるのは、大間違いだということになります。
脱税、有価証券報告書の虚偽記載、耐震強度偽装、未成年の飲酒喫煙などが見つかった際に
決して「運が悪かった」などとぬかさないようにするべきである。
日本語の使い方がデタラメだし、己に甘すぎるってんだ。


……なんか不本意な結論で締めることになっちゃったけど、
まあいいや、本日の日記はここまでだ。

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義理チョコ返しのホワイトデーのお菓子を
カミさんが僕のために買っておいてくれていた。
「明日はコレ持って会社に行きなさい」と。
な、なんと親切な嫁……。



3月12日(日) ◆大切にされすぎちゃうのって

親父が国から表彰されることが内定した。
一方の僕ちんは会社の肩書き急上昇の内示を受けた。

フツーこの年齢でこの季節っつーと、話題の中心はガキの進路とかなんだろうけど、
こちとらの対象はかなり高齢。
世間相場に乗れなくて誠に申し訳ございませんねっと。

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しょっちゅう述べている「空気の読めない人間」ってどうやって作られるのか。
僕は「大切にされすぎ」ってのがキーワードなんじゃないかと思う。

ふんふん、そうだねーえらいねーと、なんでも肯定的に耳を傾けてくれる親(その他親族)。
一切ダメ出しせずに遠慮ばかりする、実は友情薄っぺらな友人。
ちやほやしてくれる男(または女)。
波風立てないことだけに必死になってる不毛な集い(主として女同士、主として地域単位…か)。

こんな状況下にあれば、誤った慢心になんて、いくらでも至りそうだ。
こうして社会一般では通用しない「空気の読めない人間」ってのが
完成するのではなかろうかと。

ダメなものは遠慮せず徹底的にボコボコにして、本人の猛省を促す。
本人のためにも周囲のためにも、それが絶対に正しいと思うんだけどなぁ。
良くないものを「これでいいんだ」と思わせる周囲にも、多大な責任があるってもんだ。




一部には不評の、格差社会化。
ある面から考えると、僕はやっぱり否定できないかも。
なんとなく大多数がのっぺりと満足しちゃってる社会よりか、
ダメなもの(人間)にはっきりダメと悟らせ、
そのダメの域から這い上がることを是とする風潮の方が、断然ベターではあるまいか。

安直に自己満足できちゃう社会は、きっと良くないんだ。

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博多の屋台に行きたい。
ラーメン、ホルモン、おでん、餃子……嗚呼、夢のラインナップだ。

東京はなんでもあるけど「これ!」ってものが浮かばないんだよなあ。
いわゆるソウルフードってやつが。



3月11日(土) ◆一方通行会話に喝

映画監督の北村龍平さんに近々会うことになったため、
本日慌てて『あずみ』『ゴジラ FINAL WARS』のDVDをレンタル。
僕なんざいつもこんな程度の付け焼刃人生。

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んじゃま、早速「一方的会話」について不満を書いてやろう。
(って、しょっちゅう書いてる気もするが。)

『私しゃべる人。あなた聞く人。』
とでも言わんばかりの一方向会話がとにかくイヤなのである。
どちらの立場に立つのもイヤだイヤだイヤだ。だってつまらないんだもん。

僕は何事に於いても基本的に
「誰であろうと構わない存在」に指定されるのがとても嫌いなので、
ただ頷くだけの役目はご辞退申し上げ、他の誰かにお願いしたいのである。
また逆に、誰彼構わず自分の言いたいことばっか口にしても、全然楽しくない。
クラブ等でおねーちゃんを相手に話す行為が苦手なのも、この理由が大きい。
「この女だからこそ、話したい」という動機がまったく生まれてこないから。
『会話はキャッチボール』、『この相手だからこそこの内容』、
という原則論にはとことんこだわる。つーかそれって当たり前でしょうに。
(かといってそれがマンネリにつながったんじゃアホらしいが。)

相手が話したいことは最後まで聞こうという意志はありますとも。
腰を折ったり話の主導権を奪おうとか、そんなつもりはないってばさ。
だけど、こちとら、合いの手を入れてるだけなわけじゃない。
生きた言葉を返しているんだから、ちゃんと加味吸収しながら話の続きを展開しろ。
そう言いたくなることが、とにかく多いですね。

自分中心な人が多いってことか。
空気が読めない人間だらけなのか。
自分の話がよほど面白いと過信してる人が多いってことか。
普段、話を聞いてもらえずにフラストレーション溜めまくり、ゆえに止まらないのか。
偉そうに語ることで自分を大きく見せたいのか。

むー、どれもこれも貧しい話だよねぇ、いろんな意味で。

つーことで、一方的に聞いて聞いての人は、
僕のことをリアルタイムで拘束するのは避けて、
その中身は文書にまとめてご提出願います。
ちゃんと読みますから。暇な時に。

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今日で歯の治療が終わった。
保険適用外のゴールドを指定したため、3万円とられた。
ちょっと痛手だぞ、こりゃ。



3月10日(金) ◆アンフェアなのは誰か

軽々しく「午前様」なんて言っちゃったりするけど
帰宅自己時刻が木曜深夜というか金曜朝の午前4時半ってどうよ?
(日記なんて書けるわけない。)
おまけに「一方的にしゃべくる人間」を相手にしてたもんで、もう辟易。
この不満はいつの日か日記にぶちまけてやろうと思う。くっそ〜!

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ドラマ『アンフェア』を見ている。
めまぐるしく犯人が交代するタイプのサスペンスなのだが、
ラスボスは、あの初老の刑事じゃなかろうかと睨んでいる。
またハズレかしら。

いや犯人が誰かってのはどうでもいいや。
『アンフェア』という作品が、見ていてどこか陳腐に思えてしまう、
その理由を考え述べてみることにする。
(なら見るなよとか言わないように。)

どこがマズイかって、リアリティがない。
全体的にシリアストーンで気取っているくせに、肝心なポイントで
主要人物が迂闊なことばっかやらかすから余計なピンチが訪れてしまったり。
犯人を問答無用で射殺する主人公に世論の非難が集まる、という設定なのだが、
警察のマヌケぶりの方がよほど非難されるべきだぞ、と突っ込みたくなる。

無論、元々この手の“急転直下型サスペンス”というジャンルが
リアリティをとことん追求できるわけはないんだけど、
視聴者の目線誘導がヘタクソなんだな。
リアリティがないことを“意識させてしまう作り”になってしまっているということだ。

近しい作品でいうと、『沙粧妙子』。
このドラマには、徹底した様式美があった。そこを堪能する作りがなされていた。
『もう誰も愛さない』は、
小さいことにこだわらずハイスピードなスリルを味わえという力技に圧倒された。
つまり、出来のいい作品ってのは、
「予めこういうスタンスで見なさい!」という強制力が、上手に効いているのである。
作り手が築いた土俵のうえに、視聴者は自然に乗せられているわけだ。
だから、不自然な点や荒唐無稽な点を、さほど気にせず没頭できる。

プロレスを「真剣勝負の格闘技」だと思って観る人はいないだろう。
だから誰も「なんだよこれがスポーツかよ!?」と怒り出したりはしないのだ。
発信側と受け手側との間に、しっかりと暗黙のお約束が横たわっているのである。
これは極めて美しいカタチだと言える。というより、絶対条件だ。

『アンフェア』がヘタクソなのは、その点だと思う。
作品と視聴者が、同じ土俵に立てていないのである。
マジに見るべきだぞと思っていたら、肩透かしをくらわされる感じ。
言うまでもなく、この問題は、作り手の責任である。

などと批判しながら、他山の石はしっかり我が身に役立てようとはしているのです。
ただの文句タレだと思うなよ!

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カーリング娘の1は本橋麻里ちゃんでキマリだ。
(って今更なのか? もはや世間の常識なのか?)
160cm、60kgのボリューム感。かつ色白。条件揃いまくりです。



  

クリリンとマリリン。名前の相性も運命的。



3月8日(水) ◆副編集長の回顧録

“真央”というと大半の人が“井上”よりも“浅田”を思い浮かべるのが悔しくてたまらない。
それはそうとバファローズのNK砲の二人。
インシャルが共に「N.N」と「K.K」なのね。よく出来てる。感心。(なんでや?)

・・・・・・・・・・・・・・・

10年とちょっと前、僕は月刊マンガ誌の副編集長だった。
副編とはいっても、編集長には名ばかりの役員が就いていたため、
実質的編集裁量は僕に与えられていた。
なので、いろんなことを思うように企むことができた。

ある時期、ギャグマンガの新連載を開始することになった。
いわゆるシュールな不条理系の作品。好き嫌いが分かれそうなタイプだ。

なんとか人気を出したいと考えるのは当然のこと。
これをフツーに始めたんじゃ面白くないな、と思った。
そこで決めた方針が、「この作品を誌面で徹底的に虐待すること」であった。

新連載なので、初回は雑誌の表紙に小さくイラストを掲載してやることにした。
ここまではまぁ普通のこと。
しかし、そのイラストを白黒で描かせた。カラー禁止。
オールカラー5色の表紙なのに、このイラストだけが白黒。
むちゃくちゃ貧乏臭い。どこかから転用したかのような、貧相なイラスト。
主人公がワーワー泣いている見事なイラストは、こうしてひっそりと掲載された。
新連載がスタートした。

もうひとつ、新連載時につきものなのが、読者アンケートハガキで問う作品の感想だ。
「1.たいへんおもしろかった」「2.まあまあおもしろかった」……
のように、選択形式で問うのだが、最後に、「6.どうでもいい」という項目を設けた。
この問い自体が一部読者にえらく受けて、ハガキの感想欄に
「なんて酷いことするんですか(笑)」という意見が相次いだ。しめたと思った。

で、いろんなマンガ誌をご覧になればお分かりのように、
雑誌の表紙には、原則すべての作品のタイトルが入る。
ここで、この作品を毎月とことんいじめることにした。
とはいっても、「掲載してやらない」みたいな方法では、あまりに芸がない。
勘のいい読者をニヤリとさせなくては意味がないのだ。

ある月は、タイトルが断裁面にかかって、半分切れて読めなくなるようにした。
またある月は、わざとタイトルの一部を間違えて掲載した。
タイトルの上に別作品のイラストをかぶせて、文字を潰したこともあった。

さらにある月は、タイトルを極太字で無駄に大きく載せてやったのだけれど、
表紙の背景の細かいデザインに文字が埋もれるようにした。
分かるだろうか、色盲検査カードのようなギトギトのデザインで、
目を凝らさないと読めなくしたわけである。読めた人はエライ!
(ちなみに僕は、表紙デザインもデザイナー一任とせず、
かなりの部分を自分で考案した上で、指示を出してデザインさせていた。
その時の指示は正に「色盲検査風に読みづらくしてください」。
ばっちりイメージ通りのものがあがって満足したものである。)
……こういうあの手この手を毎月ニヤニヤと考えるのは、とても楽しかった。

本編の掲載も、迫害扱いしまくった。
大抵のマンガ誌は、本編終了後に、読者投稿ページがあって、目次で締める。
しかし僕はその作品を、投稿ページの更にそのうしろに掲載することにした。
完全に仲間はずれ。おミソ。規格外。

加えて、ハシラの部分(注:マンガ原稿の左右の端っこの空欄)、
ここには大抵の場合「次号予告」とか「コミックスの宣伝」が入るのだけど、
この作品だけは、担当編集者に命じて、そのスペースに、泣き言を手書き文字で書かせた。
担当者だけが唯一作品の味方であるという設定にしたのである。
担当は毎号、
「この作品をもっとちゃんと扱ってください」
「『××先生に励ましのおたよりを出そう』という案内文くらい載せさせてください」
と、“鬼の副編”に対する懇願を書き続けた。そして大抵、連載の最終ページでは
「うわぁぁぁーん!!」と号泣セリフになっていた。
(もちろん、担当者は裏では嬉々として、その作業に勤しんでいたのだが。)

ここまでくれば、もう徹底してやるしかない。
最終の、目次ページ。
ここも、写植(注:素人言うところの活字ね)で作品名は載せてやらず、
空欄だけ設けて、担当に手書き文字で入れさせた。

ちなみにその担当者の字というのが、読みやすいながら、下手で幼稚なのである。
そこがまた、哀れさミジメさに奏功した。
彼の筆跡がこんなじゃなければ、この作戦はとらなかったと思う。
適材あっての作戦なのだ。




やり過ぎると同人誌まがいになる。商業誌失格の烙印を押されるだろう。
その点だけは、自己判断で常に注意しつつ、やれるだけのことはやった。

読者の反応は悪くなかった。
読み手のレベルにも助けられたな、と述懐する。
ただひとつ予定外だったこと。それは、
企画ばかりが受け、肝心の作品自体の人気は思ったほどあがらなかったことである。




意味ねぇじゃん!!
でもまぁ、楽しかった。

突然、そんな時期のことを思い出して、タラタラと書いてみた。長文多謝。

・・・・・・・・・・・・・・・

今現在の仕事もかなり面白いんだけど、
振り返れば、この雑誌を死ぬほど苦労して創刊させた、あの時期が
やっぱ最高に楽しかったかなー。



3月7日(火) ◆その評論の価値は

本日、ジャケットから10円発掘。ウキウキ。(3月4日の日記参照)

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基本的にクソ意地の悪い僕ではあるが、
猫も杓子も叩きに回っているものに関しては回避したくなっちゃうんだなこれが。

へそ曲がりなどではなく、恐らく、自分の出る幕がないと感じるからだと思う。
誰もがやることだったら、別に自分はやらなくてもいいわけで。
なので永田議員バッシング行為などには参加しなかった……のかな。

野球やサッカーを観た後に、解説者とまったく同じ評論を展開するオヤジどもの心境が
僕には理解できないのである。

意識していようがいまいが、「人と同一の視点」でしか語っていないんじゃ、同じことだ。



んなことを書いていてふと思ったので続けてしまうわけだが、
「サッカーの試合分析を語る」のって、
本来はものすごく高度で難しいことなんじゃないかと思う。
元々僕自身がサッカーに疎いから苦手意識が働くのかもしれないけど、
多分それだけじゃない。

というのも、だいたいテレビなんて、ボールがあるところばっか映すでしょ。
(我が家の16:9の大型テレビでも、そこんとこは変わらない。当たり前だが。)
で、サッカー分析って、
ボールの近くにいるヤツだけを対象に語っても、えらく陳腐にしかならないと思うのである。

誰がいいパスを出したとかナイスなゴールを決めたとか、
あるいは誰がトラップやクリアのミスをしたかとか、
ゴール前のマークがズレてたとか、
そんなのはフツーにテレビ中継を見ていれば子どもでも分かることであって、
あとになって殊更声高に叫ぶ必要性はゼロだろう。いやむしろゼロ以下。
高さがどうの精度がどうのと理由づけしてみたところで
「見たまんま」の域から何ら脱してはおらず、
要するに「活躍した人をただ誉める」だけってのは、
いつも述べている通り、赤いものを赤いと言ってるだけの行為に等しく、
甚だみっともないことじゃないかと思うのと同時に、
しょせんテレビ観戦レベルじゃ
そんなことしか語りようがないんじゃないかと思うんだけど、違うだろうか。

野球はまだ分かるんだよ。
あの競技は基本的に「静」の状態の中での読みと駆け引きを楽しむものだから、
「球のあるところにいる人」を対象に評論するのは極めて正しいし、
しかもいくらでも深読みができる。
プロ解説者にしても民間ファンにしても、
僕なんかには気づかない指摘をしてくれるケースは多く、
素直に感心することしきりなのである。
(こうやって、あとで薀蓄を語れるところが、
理屈好きの日本人の嗜好に合ってる競技なのかも、という気もする。)

しかしサッカーはなぁ……。
むしろ、ラインの上げ下げとか、サイドからの展開とか、
ほとんどテレビには映らず、
かつ、ド素人では目の行き届かない組織的な部分に着目できてこそ、
初めて価値のある評論ができると、僕はそう思うのだが。

違うのかなー。
違ってたら「素人なのでゴメンナサイ」と言って逃げることにしよう。

・・・・・・・・・・・・・・・

会社の福利厚生施設をよくよく調べてみると、
恐ろしく安価に温泉宿を利用できると判明。
なんじゃこりゃ!
今までどうして利用しなかったのか。僕のバカバカバカ!
ということで早速4月に予約を入れました。楽しみであります。



3月6日(月) ◆偏狭世界、それは地獄に似たり

ヤフーBB利用者ってえらく多いんだなあ。

・・・・・・・・・・・・・・・

自分にとっての世間ってものは、広く持ちたいものである。

世間を狭めてしまうことの最大の問題点は、
拠り所がギューッと絞られてしまうことだと思う。

つまり、
  “楽しいもの、生き甲斐を感じるものがコレしかない”
  “自分を支持してくれる味方はこの人しかいない”
  “頼れる人はこの人しかいない”
そんな状況に陥ってしまうと想像する。
で、その、数少ない対象への執着心が
異様なほどに引きあがってしまうことこそが更なる問題点で、
それはつまり、仮に失った時や裏切られた時の絶望感ってものも
極端に大きくなることを意味してしまう。
もっと言えば、その大切なものにチョッカイを出す人間のことを、
狂ったように敵視してしまうことにもなりかねない。

やっぱこれではイカンだろうよ。

ドラマ見すぎの僕としては、
男に入れあげすぎた女が捨てられて
あっさり手首を切ってしまう図なんかが想像できちゃうのであるが、
失恋ごときで死ぬこたぁあるまい、という外野の声をよそに、
その女にとって、男の占める割合は、我々の想像以上に大きかったわけだろう。
まぁ、ある意味純真な姿ではございますが、やはりバランスがよろしいとは言い難い。
男がいなくなる程度のことは、
千円落としたのと同程度のショックで片付けたいものである。

なんだか冷徹な書き方になってしまったようにも思うが、
楽しいこと
面白いこと
大切なもの
貴重なもの
価値あるもの
こういったものは、世間にゴロゴロ転がっているわけだから、
狭くて小さくて少ないところに執着しすぎない方がいいんでないかい、と、そういうことだ。
さっきも書いた通り、過度な執着は、
嫉妬とか敵視とか、必ず偏狭的で醜い感情を生むから。

度が過ぎると、狂人だか変質者みたいになっちゃうと思うのである。

・・・・・・・・・・・・・・・

手広く所有してはいけないのは「奥方」くらいのもんじゃないかい?



3月5日(日) ◆更新停止したサイトの面白さ

休日。
  ゆっくり休んでいたいのに早くに起こされてしまうのと
  せっかくの休日が台無しになるほどのんびり遅い時間に起きてしまうのと

さてどちらがミジメでございましょうか。

・・・・・・・・・・・・・・・

日記の更新が止まったサイトを訪問すると、必然的に、
毎回毎回、同じ「最終日記のフレーズ」を繰り返し目にすることになる。
あ、またアレか。
今日も更新されてないから、またアレか。
そろそろ新しいのが書かれてるかな、いや違った、またアレか。
という感じで。

これを幾度も繰り返しているうちに、なんだかその「最終のフレーズ」ってヤツが、
自分の中で勝手に“笑いのツボ”にまで昇華してくるから不思議。
特別、面白いことが書いてあるわけじゃなくっても、
なぜか可笑しくてたまらないものになってしまうわけである。
妙な味わいまでもが感じられるようになっちゃったりして。
こんな経験、皆様はお持ちではないだろうか。

芸人が駆使する笑いの種類の中に、刷り込みってヤツがある。
決めのセリフやポーズやリアクションを、無駄にしつこく繰り返すことによって、
理屈抜きでクスリと笑わせられてしまうタイプのもの。
これに近いものなのかな、と思う。
無論、芸人とは違って、更新を停止しているサイト主に
それで笑わせようって意図は微塵もないばずで、
見る側が、勝手に繰り返し訪問して勝手に笑っているだけの話なのであるが、
可笑しさが生まれる根拠という点では、同質のものなんだろう、きっと。
(いや、意図していない分、かえって可笑しさが引きあがっているかもしれん。)

クリリンさんは基本的に「毒を含んだ意地悪な笑い」を好むが、
今回の例は、そうではなく「微笑ましい笑い」の類だ。
たまにはこういうのもいい。

無自覚なはずのサイト主さんに、草葉の陰からお礼を申し上げたい気持ちである。(まじ)
と同時に、僕はその立場に立ちたくないので、
今後ともがんばって更新継続しようと思いました。おしまい。

・・・・・・・・・・・・・・・

ドラマ『時効警察』の狙う面白さにようやく波長が合ってきたと思ったら、
もう次回が最終回ですって。残念。
感覚の鈍い視聴者が受けるべき戒めだと思って諦めます。



3月4日(土) ◆インターネットで繋がって

会社の自販機は、巷で120円の缶コーヒーを、90円で販売している。
僕は毎日、100円玉一個を握っては自販機のところに行きコーヒーを買って、
釣り銭の10円をジーンズや上着のポケットに仕舞いこむ。
そして忘れる。
一度、衣類のポケット総ざらいをすべきだと思っている。かなりの額になるかも。

・・・・・・・・・・・・・・・

インターネットってヤツは相互に繋がり合うツールだと、誰もが思っている。
確かにそりゃ間違いではない。

しかし一方、こんなケースもある。

僕はサイトにアクセス解析を付けているので、
個体認識している何人かの方については、
何日何時にココにアクセスしてくださったのかが分かる。
で、僕の知人のAさんとBさんが、ほぼ同時刻にアクセスなさってるって日があったりもする。
しかもAさんとBさんは、遠く離れてはいるけれど、ともに知り合い同士。

要するに、友人であるAさんBさんが、偶然同じ時間に僕サイトをご覧になっているわけだが、
問題は(いや問題ってほどのこともないんだけどさ〜)
AさんBさんは、恐らくは、その事実にまったくお気づきでないということである。
知っているのは僕だけ。
僕が神だと仮定すると(え!?)、
文字通り“神のみぞ知る”、お二人の行動の一致なのである。

僕という「神」の存在を介して、確かに二人は繋がっている。
しかし肝心の当人はそのことを知らない。
ここに僕は、運命の残酷さというか、空しさみたいなものを感じてしまうのである。
大袈裟だと思いつつも。


本当は相思相愛なのに、お互い自分の片思いだと信じ込んで勝手に諦めてしまい、
恋愛が成就しないというケースがある。
これって、ただの失恋よりもある意味残酷だとは思いませんか?
恐らく、天空におわします神は、その二人を見て、一人静かに涙にくれておられよう。
僕はしょっちゅう、その神の心境に至るわけである。

いや、今日の論旨がメチャクチャだとは思っているわけですよ、僕だって。
「恋愛感情」に比べて「クリサイトを見る行為」が
いかにどうでもいいことかについても、分かってますよ。マジで。

ただ、「ネットは繋がり合える」と安易に喜ばしくとらえることに、
なにかこう、引っかかりがあるんだろうな。
その期待感ほどには、本当は繋がり合えていないんだよ、
という警鐘が耳の奥でかすかに鳴っているような、そんな感じだろうか。



こんな半端な言い方しかできない時は、

   うまくまとまったらまた改めて書くか
   なんとなく共鳴できるぞって方の投稿を待つか


……どちらもナシだろうな。おわりにしよう。

・・・・・・・・・・・・・・・

オッサンばっか4人で飲んでいても、血液型の話になったりするのである。

会議をしていて、何やら議題がえらくそれてきてしまっている。
あららーと思ってチラッと周りを窺うと、同じような思いのヤツと目が合う。
そして目と目で「困ったもんだねぇ」と頷き合う。

ここで目を合わせる二人は間違いなく共にA型。とかね。



3月3日(金) ◆らしくあれ。

一昨日、間接的に駒大苫小牧を称えたと思いきや……あああああああぁぁぁぁ。
でもまあいいや。書いた趣旨がひっくり返されたわけじゃないし。

・・・・・・・・・・・・・・・

大都会・新宿。
僕が勤務するこの街には、ホームレスチックなオジサン(たまにオバサン)も大量に居る。

道端に座り込んでたり、ダンボールを居住区と成すそれらの人種は
もはやすっかり見慣れてしまい、気にかけず平然と通り過ぎることができるようになった。

が、先日、夜の新宿を駅に向かって歩いている時、思わず僕の視線が止まった。
毎度お馴染み道端のダンボール、そこから顔を出している中年のオジサン……
というところまでは何ら目新しさがなかったのだが、問題はその風貌。

ものすごくキチンとしていたのである。
髪なんか、しっかり七・三で整えられていて、肌もまったく汚れていない。
どこかちゃんとした会社の部長さんと言われてもおかしくないような男が、
ダンボールから無表情な顔だけニョキッと出していたのであった。

すげーミスマッチ。何かの罰ゲームなんじゃないかと思ったくらい。

もうね、悪いけど、立ち去りながらあたしゃ笑いが止まりませんでしたよ。
駅まで肩を震わせながら歩きましたよ。

やはり、あのシチュエーションで生えている顔ってのは、











     




こんな感じであって欲しいっつーか。


最近、日本のロックミュージシャンは、
長髪・細身ばかりじゃなく、デブやメガネもだいぶアリになってきている。
だけど、
「ホームレスなのに部長っぽい」ってのは、まだ僕的に免疫ナッシングです。

あれからもう数週間。
そろそろ板についてきたかしらね、部長さん。

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2011年といわず、早いとこアナログテレビ放送から完全デジタル移行してくれないかな。
CATV経由でしかハイビジョンが見られないのは何かと不便なのです。
パススルーで地上デジタル放送を見たいわけですよ。



3月2日(木) ◆増税を回避する名案

焼肉をしこたまご馳走になって帰ってきました。うしししし。

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増税はイヤだとばかり言ってもいられない。代案がなくては。
ということで、罰金制度をもっともっと強化し国の財政に充てることを提案します。
スピード違反や路上喫煙だけじゃなく。

電車で大股広げたりして二人分の座席を確保してるヤツから罰金徴収。
畳んだ傘を振りながら歩いてるヤツから罰金徴収。
道のド真ん中で立ち話しているオバハンども全員から罰金徴収。
駅の階段の「左側通行」のキマリを守らないヤツから罰金徴収。
エスカレーターを塞いで乗っているヤツから罰金徴収。
行列に横入りするヤツから罰金徴収。
テレビ番組にクレームを寄せたヤツから罰金徴収。
空港待合室の椅子の上に荷物を置いているヤツから罰金徴収。
自分の子が悪いことして叱られてるのに逆ギレする馬鹿親から罰金徴収。
劇場にて映画観ながらしゃべるヤツから罰金徴収。
パンツ見せてる女から罰金徴収。

(罰金支払いを拒んだ人間はその場で射殺。)

収入源が確保される上に迷惑行為が減らせる。一挙両得の名案である。
ぜひ国会にて採決を。

みんなの態度が改まり、罰金収入が減って行政が不充分なものに陥ったとしても、
それはそれでとてもいい国だと言えるんじゃないか。


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さーて午前1時からWOWOW見るもんね。
先週土曜にうっかり見逃してしまった、これ
サムライチャンプルーでお馴染み、マングローブの新作だぜ。



3月1日(水) ◆女性2人組観察記

トリノ五輪でいっこうにメダルに手が届かなかった時期、予想通り原因探しが始まった。
「日本には、1年通じて冬季種目の練習ができる環境が築かれていないせいだ!」
という声が、最も多かったように記憶する。

や、別にその意見を否定しようとは思いませんけど。僕は専門家じゃないし。

ただ、駒大苫小牧の野球部員たちは、それを聞いて果たしてどう思ったのかなーと。

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見知らぬ若い女性2人組を観察していて思うこと。

    ↓
    ↓

一方的にベチャクチャしゃべるのは大抵ブス。


例によって「どうしてだろう」と考えてみた。
簡単に見つかった答えを恥ずかしながら述べるわけだが、
別嬪さんは多分幼い頃から「人目」というものを意識して生きてきたんだと思われる。
要するに、公共の場での恥ずかしいことに対する抵抗感が、
別嬪じゃない人に比べて高いのだろうと。

多分そうだ。そういうことにしよう。
と、帰宅時の深夜の電車の中で「実例」を見ながら思った。
おとなしく頷いてばかりいる娘はキレイでした。

但し、美しさが高じて「女王様」の域まで達してしまった女性は
この限りではないんだろうな。
もう、天下を獲ったかのような気分で、
シモベを相手にするが如く、セルフィッシュにくっちゃべるんだろうな。

正論はいつだって「極端な例」のせいで破壊されるものである。

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カウンタが9万9千を突破してますな。
今年、10万記念イベントができるかしらん。

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